みなさん、こんにちは!突然ですが、クルマのネーミングで「イメージと名前がぴったり合っているモデル」と聞かれて、どんなクルマを思い浮かべますか?筆者はAC・コブラやランボルギーニ・ディアブロなどを思い出しますが、逆に「ネーミングとクルマが合っていないクルマ」はどんなモデルがあるでしょうか?
今回紹介するクルマは、どちらかというと「ネーミングとクルマが合っていないクルマ」に分類されるのではないかと思っています。「騎士」という勇ましいネーミングとは裏腹に、多くの人にとって快適で間口の広さが魅力だったトヨタ・キャバリエクーペ。短い生産期間と、少ない販売実績、そして生産終了から時間が経っているといった条件が重なり、中古車市場で見かけることも少なくなってきました。今回はこのクルマについて、改めて紹介していきたいと思います。
GM初のFF車として登場
トヨタ・キャバリエクーペの生い立ちは、通常のトヨタ車とは少々異なります。キャバリエクーペは、4ドアセダンの「キャバリエ」とともに、もともとアメリカのゼネラスモーターズで生産されていたクルマでした。
アメリカのビッグ3のひとつ、ゼネラルモーターズ。1970年代のオイルショック後に値上がりしたガソリン代と、1980年代の日本製やドイツ製の小型車の販売の伸びなどが原因で、ゼネラルモーターズなどの北米の自動車会社は、大型車中心だったラインナップの見直しを迫られていました。
参考:トヨタ・キャバリエクーペ買取専用ページ!
日本車やドイツ車は、フロントエンジン・リアドライブの小型車が一般的になっており、軽量・コンパクトな車体は燃費性能も優秀でした。ガソリンの値上がりという実情にもぴったりと合っていたのです。その状況に危機感を覚えたゼネラルモーターズが開発し、シボレーブランドで販売を始めたのが初代「シボレー・キャバリエ」でした。
ゼネラルモーターズはコストを抑え、かつ世界で戦えるクルマを作るために、傘下におさめていた企業と共通のFFプラットフォームを新規に開発しました。傘下のいすゞ、オペルにはそれぞれ既にFF車は存在していたものの、共通部品が少なく、コストの面では不利を強いられていたのです。
1982年に発売されたシボレー・キャバリエの初代モデルは、ゼネラルモーターズ初の小型FF車ということもあり、セダン、ハッチバック、クーペ、ステーションワゴン、そしてコンバーチブルまで用意されるという気合の入れようでした。発売後の評判は上々で、発売から3年後には初年度の8倍弱の台数を売り上げ、1984年と1985年には販売台数において全米で1位を獲得。同時にオペル・アスコナ、ホールデン・カミーラ、いすゞ・アスカ、キャデラック・シマロンなど、多くの姉妹車が登場しています。
3代目モデルが「トヨタ・キャバリエ」として販売されることに
出典:ウィキメディア
1988年には2代目モデルが登場。好評だった初代モデルのコンセプトを受け継ぎ、またゼネラルモーターズの販売しているクルマの中では最安値だったということもあり、2代目モデルの販売も引き続き好調を維持します。一方で、車体の基本設計そのものは旧態化しつつあり、性能についてもヨーロッパ車や日本車に比べて劣っていました。
1995年に、シボレー・キャバリエは3代目にモデルチェンジします。薄いボンネットに横長のヘッドライト、テールに向かって緩やかに高くなるハイデッキスタイルなど、エクステリアに関しては一気にモダンに、スタイリッシュに生まれ変わりました。そのスポーティなデザインは、それまでキャバリエの購買層ではなかった層にも訴えかけ、ユーザーの若返りが進むことになります。
とはいえ、シャシーの旧態化については2代目モデル以上に進んでおり、中でも駆動系の古臭さはかなり深刻でした。登場当初のエンジンは直列4気筒OHVの2.2〜2.4リッターがメインで、ゼネラルモーターズの新世代エンジン「エコテック」が搭載されるのは2002年まで待たなければなりませんでした。
クーペの最上級グレードには「Z24」という、ゼネラルモーターズ、そしてシボレー伝統のネーミングが与えられたモデルが設定され、こちらには2.4リッターの直列4気筒DOHCエンジンが搭載されていました。
その後、1996年1月から、ゼネラルモーターズから輸入、つまりOEM供給を受けてのバッジエンジニアリングモデルとして「トヨタ・キャバリエ」が発売されます。ボディタイプはセダンとクーペが用意されました。
アメリカでの最上級グレード用エンジンを搭載
搭載されたエンジンは、アメリカでのトップグレード「Z24」に搭載されていた2.4リッター直列4気筒DOHCで、最高出力150ps/6000rpm、最大トルクは22.1kgm/4400rpmを発生。スペックは平凡ですが、思いのほか豪快な加速を披露する、低回転・トルク型のアメリカらしいユニットと言えるでしょう。
日本の道路事情に対応するため、トヨタの手により右ハンドル化やウインカーレバーの移動などが行われています。一方で、カーステレオについてはシボレー・キャバリエのものをそのまま流用していて、アメリカの「デリコ」社製という日本では聞きなれないブランドものが採用されています。
サスペンションについては、アメリカ車特有のふわふわした乗り心地ではなく、コーナーでもしっかりと踏ん張る、カーブの多い日本に対応した足回りのセッティングとなっています。筆者はシボレー版のキャバリエには乗ったことがないので、この足のセッティングがトヨタ・キャバリエに特有なのか、それともシボレー版との共通なのかはわかりませんが、トヨタ・キャバリエは日本の道路事情にぴったりとマッチしていることは間違いありません。
「貿易摩擦解消を図る」という名目もあったトヨタ・キャバリエとキャバリエクーペの販売ですが、日本での販売は芳しくありませんでした。年間の目標販売台数は2万台と設定されていましたが、結局累計で約3万6千台ほどしか売れず、販売不振のために当初の計画(販売は5年間の予定だった)を早めに切り上げて、2000年4月に販売を終了してしまいます。
販売不振の原因はどこに?
クーペで全長4.6m、全幅1.74mというゆったりしたサイズにも関わらず安価な車両販売価格、テレビなどのコマーシャル戦略、丁寧なローカライズなど、きちんとした販売計画がなされたトヨタ・キャバリエクーペでしたが、販売が伸びなかった原因はどこにあるのでしょうか。
筆者は、ライバルがトヨタの社内に多数いたこと、サイズが少々大きかったこと、細かい部分の仕上げが荒かったこと、などが考えられると思っています。特に、トヨタの自社内に多くのライバルがいたことは、キャバリエクーペの販売が伸びなかった最も大きな理由ではないでしょうか。
安価なボトムラインを担うクーペについては、すでにサイノスやカローラレビン、スプリンタートレノが存在していました。また、お手軽なスペシャルティクーペとしてセリカとカレンが存在していましたし、同じ販売店ではソアラも売られていました。また、当時はMR2もまだ販売されており、スポーツ&スペシャルティなクーペは飽和状態だったのです。
登場時は約200万円、販売終了直前には約150〜180万円という破格売られていたキャバリエクーペ。現在の中古車市場で流通している個体数は5台以下で、今となってはかなり珍しいクルマとなってしまいました。価格についても特にプレミアがついている、ということはなく、15〜50万円程度で取引されています。
トヨタとゼネラルモーターズという大手メーカー同士が手を組んだ珍しいスポーツクーペ、トヨタ・キャバリエクーペ。日本のトヨタの手厚いアフターサービスを受けつつ、アメリカ車特有ののどかで豪快な雰囲気を楽しめる稀有なモデルでした。消耗品やメカニカル部品の供給問題はありますが、現在の中古車相場はかなり低くなっているので、あえて今乗ってみるのも面白いかもしれませんね。それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
[ライター/守屋健]